ハラサトシ/パーソナルコーチ(大阪出身)
現在の事業
個人向け人間関係コーチング(2020年11月現在はオンラインのみ)
▼目標達成全般
・起業独立したい
・副業を始めたい
・売上げを上げたい
・モテるようになりたい
・対人関係の悩みを改善させたい
・やりたいことを見つけたい
・コミュニケーション力全般(あがり症や人見知りなどの改善/性格を変えたい)
・その他の目標達成
*コンサルティングとは異なります。コーチングで目指すのは自走です。体験セッションでご判断下さい
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コミュ力おばけの学校(2020年11月現在はオンラインのみ)
▼コミュニケーション力を上げるための勉強会の開催
・人見知りやあがり症克服に向けた雑談の会
・人見知り克服のための勉強会(セミナー形式)
・スピーチ練習会
・その他、コミュニケーションの経験を積むための会各種
話す練習/雑談の練習/経験を積むオンラインの場所
ハラサトシの今と過去
2006年に独立してから、約14年が経ちました。
在宅ワークにて、ネット通販事業を展開してきました。
その後、10数年続きてきたネット通販事業をやめ、現在は個人向け人間関係コーチングを中心に活動しています。
なぜ、「パソコンに向かう仕事」から「人に向かう仕事」に変えたのか。
少しお付き合い下さい。
対人不安が強かった10代~30代
人と接するのが苦手だった学生の頃。
結局、成人式にも出席することが出来ませんでした。
友達との距離感を掴むことが苦手で、自分から誘うことはほぼありませんでした。
20代になり社会人になった後も、やはりコミュニケーションは苦手でした。
人見知りやあがり症が酷かったものの、仕事をすること自体は嫌いではありませんでした。
ところが、新卒で入った会社を半年で退職することになりました。
仕事の内容もそうですが、上司からの圧力に耐えれるほど忍耐力もなかったんです。
その後、20代のうちに6社ほど正社員で転職を繰り返したものの、どこの会社でも実績を残すことはできずでした。
そんな中でも、いつか独立したいという夢だけは持っていたのですが、知り合いに話しても「何が出来るの?」という嫌味を言われるだけ。
30代に入った頃に、一つ目の転機が訪れます。
それが「会社からの解雇通告」です。2006年、冬のことでした。
一つ目の転機「会社からの解雇」からの夢の独立
勤めていた会社で私がおこなっていた事業が「EC事業」です。いわゆるネット通販の仕事です。
在庫が多かったこともあり、私が独立して引き継がなければ、在庫の行き場がなくなってしまいます。
オーナーとしても、私が独立して在庫を引き受ければメリットは大きかったので、独立を喜んでくれました。
会社員としては、大きな結果は残せませんでしたが、20代後半の頃は、数名ではありますが部下やアルバイトの方たちの上に立ち、学ぶことも多くありました。そこでの経験は今でも生きています。
独立してからは、在宅ワークとなり、毎日自宅でパソコンの作業が続きました。
朝から晩まで、時間を気にせず仕事が出来ますし、通勤もありません。上司に怒られることもありません。
長男がまだ小さかったので、何としても稼がないといけないという焦りはありました。
それでも充実した毎日を過ごしていました。
しかし、その夢のような毎日はそう長くは続きませんでした。
二つ目の転機「うつ状態」の始まり
無我夢中で働き、独立して3年ほど経った頃。業績も上向きになってきた頃。
無気力な日々が始まりました。それが「うつ状態」だとわかったのは、ずっと後のことです。
その頃は、とにかく「何のために働いているのか分からない」といったネガティブな口癖ばかりが口から出てきました。
体にも数々の異変が起きました。
喉に違和感があり息苦しい状態が続く
寝入りばなに動悸が激しくなり、寝ることが怖くなった
顔の一部がピクピクと痙攣して止まらない
その他にも書ききれないくらいの症状
何度も色々な病院を受診しましたが、原因は分からず。
何とか業績は維持しながらも、ただただ日々の作業をこなすだけの毎日が数年間続きました。
さらに、うつ状態を悪化させる出来事が2つ起きましたが、それはここでは控えます。
三つ目の転機「地域ボランティア活動」への関わり
元々、自治会活動等には消極的だった私です。
消極的どころか、なければいいのにと思っていたくらいでした。
住んでた団地では、1ヶ月に1度掃除の日があり、参加しないなら1,000円支払わないといけないというペナルティがありました。
30分ほどの掃除でしたが、私はそれに参加するくらいならペナルティを支払うというくらいの感覚でした。
そんな私が、地域のボランティア活動に関わることなりました。
在宅ワークを続ける中で、生活の中で家族以外の人と話すこともほとんどなく、友達もほとんどいませんでしたので、誰とも会話をしない。
人見知りやあがり症は、さらに大きくなっていた頃。
あるきっかけがあり、もちつきのボランティアに参加したんです。2012年のことです。
その参加が私の人生に大きな影響を与えました。
地域のボランティ活動としては、自治会会長、PTA会長、その他地域のボランティア団体に何種類も所属し、気付けばそこに自分に居場所を見つけていました。
地域ボランティア活動に参加してから8年以上が経ち、100人以上の方と言葉をかわし、関わった方でいうと1,000人以上になると思います。
人見知りもあがり症も克服できたのは、やはり、地域活動での経験が大きかったです。
ボランティア活動とはいえ、自分が思うように進まないことはもちろん、時には自分が違う考えの方から、酷い攻撃を受けることもありました。
それでも、話を聞かせていただけることが、私にとって何にも変えがたい時間でした。
それは、自宅で誰とも話すことがなく、フツフツとしてた時間が長かったからこそ、話を聞かせてもらえること、話を聞いてもらえることの有りがたみが分かったんだと思います。
四つ目の転機「コーチ」として人をサポートする仕事を
コーチとしての活動を始めたのが、2019年のこと。
最初は話を聞かせていただきながら、時に質問をさせていただきながら、対話の中で、相手の方が変わるサポートをさせていただいていました。
その時点では、まだEC事業を続けていましたが、その後、全てのECサイトを閉店し、コーチ業のみで活動するに至りました。
コーチといっても、考え方や進め方はコーチによって違います。
私が考える、コーチとしての人との関わり方について最後にお伝えします。
ハラサトシが思うコーチング
コーチとして私は何を提供できるのか?
それは、理想と現実のギャップを一緒に埋めていくことです。
目標を決めて、いかにしてそこに辿り着くかをサポートすることです。
なぜ、私はコーチになったのか?
私があがり症や人見知りを克服できたのは、本を読んだからではありません。地域ボランティアの活動の中で、多くの人と対話を繰り返したからです。
私がコーチというやりがいのある仕事を見つけることが出来たのは、適職セミナーや転職セミナーを受講したからではありません。自分の強み診断を受けたからでもありません。コーチの仕事とういやりがいをみつけることが出来たのは、妻との対話や知人との対話の中で見つかりました。
私の場合は、周りの方のサポートがあり、人生が大きく変わりました。
皆さんの中でも、自分の力で目標を達成できる人もいることでしょう。
ただ、もし、自分一人より人の力があったほうが目標を達成しやすいと思うのであれば、コーチをつけてみることをおすすめします。
私がコーチとして最適かは分かりません。やはり相性もありますからね。
もし、コーチをつけてみたいという方は、ぜひ一度、体験セッションを受けてみて下さい。
人間関係コーチングの中で何をするのか?何が変わるのか?
まずは体験していただくことから始めてみて下さい。
プロフィールは以上です。